ハイテンションで即興した
やっぱりバイオリズムってのはありますね。
今とてもテンション高めです。
上向いています。
笑っていたいと思えるし、結果として笑えるし、そうやって笑うことの効用に助けられている。
いつまでも続かないかもしれないけれど、コントロールできるものでもないから、笑えるうちには笑っておこうと思う。
笑って過ごすのは素敵だ。
でも、その素敵さの影に、避けて見過ごしたものがある気がする。
いや、実際そうだ。
誰かと一緒に笑って過ごして、そのあとお別れしてからは、いつもの日々が戻ってくる。
あるいは憂鬱かもしれない日々が。
そこに帰ってからは、(自分を含めて)誰かがまた損なわれるフェーズが始まる。
もしくは、俺の能天気な笑顔が、つらい誰かを傷つける場合もあるかもしれない。
そんなことを言うと、結構な人が「そういう配慮を忘れないのが大事なんだよ」と言葉を返す。
配慮している、ということ自体の大切さ。
それは俺自身も思う。
でも、仮にうまく配慮できたとして、そのことを免罪符にしようとしちゃいけないよね。
世界じゅうを幸せにする力なんて絶対に誰にもないけど、せめて出会った人とは、きちんと喜びを分かちあえるように。
出会った人と、他人どうしであったとしてもそれで良かったと思い合えるように。
世界あるいは他者は、不透明だし何をしてくるか分からない。
少なくとも俺には到底読めない。
出会ってよかったと思えるものが全てじゃない。
いつの間にか様変わりする人もいる。
それでもいいからそばにいよう、と笑っていたい。
もちろん離れるかどうかは相手の都合だ。
結局、そばにいよう、と笑いかけるのは賭けだ。
そこに世界の怖さと真実がある。
それにどう向き合うか、答えを出すまでは安易に笑っているだけではいられない、と思う。