ボイトレとは本当に、理解分解再構築だった。

声を出すときに、自分がどの部位をどのように使っているのかを理解し、その無意識にごた混ぜにしている部位を一度バラバラにし、それを組み合わせて声を作り直す。
「小学生の手と足が一緒に出ちゃう行進」みたいな、感覚の自覚が未分化な状態を一度解いてやらなくちゃいけない。
多くの人にとって、声帯は舌と区別されてないし、声と息は同じものだし……などなど。

今日学んだことは大きかった。
つまり、どんな人でもしゃべるときには共鳴を使っているのであって、共鳴を使っていないというのはありえないということだ。
声帯で鳴る基音は本当にただの線のような音でしかない。
共鳴でそれを広げて初めて言葉なり音なりにしていくわけだが、その自由度というのは実はすごい。これは実感しないと本当にわからない。