フったフられたなどということはない、それはただ「うまくいかなかった」んだ

女の人とうまくいかないたびに、「つまり自分は他人を思いやれない、他人に興味のない人間で、幸せになんかなれないのではないか」という疑念に苛まれることになっている。
相手も、果たしてこの先幸せになれるのだろうか、と思うと悲しい。
俺みたいな男にひっかかるんだもん。
女を愛せない男と、愛してくれない男にしがみつく女。
そういうのっていつか克服できるのかな。好転するのかな。
傷ばっかり増えて、余計ひどくなるんじゃないのかな。

幸せってなんだろう。
幸せそうな人は楽しそうに見える。
悩んでるときすら楽しそうに見える。
彼らはどこかに行くために悩んでいるように見える。
決まっている道を歩いているように見える人のほうが、かえって決まった道を歩いていないみたいに、目の前にある偶然を拾い集めて楽しんでいるみたいに見える。
太くてはっきりした矢印みたいな人生だ。
充実した今と、確実に歩一歩進んでいく時間軸。

人生のあり方ってそれだけなのか?

ある価値が「ほんとうのシアワセ」みたいに思われはじめた瞬間、そこに至れない人は「不幸せ」になる。
ほっといたらそうなる。
でももう少し人生って自分の力で選んでいけるんじゃないか?
もう少し、妥協とは違う「落としどころ」があるものなんじゃないか?