ネグレクトされた犬みたい

 少し空気をお読みになってはいかがですか、とたしなめられることはめったになくて、誰も僕をそういうふうには咎めない。ただ僕は空気を読む。僕は空気をよく読める。まるで自分がネグレクトされた犬みたいだとよく思う。僕は絶えず怯えていて、いつも身構えていて、なるべくどこに向かってもいい顔をしていて、そういうのはくだらない、と思うのだけれど、気がついたらいつもそうなのだった。僕は自分が何を考えているのか、自分でわからなくなってしまう。さっぱり、とんとさっぱり。僕は言ってみれば反応性の高い原子だ。いつも震えていて、何かに近寄られると、たちまち自分を失ってしまう。人を殺さなくてはいけなくなったら、僕は殺すだろうか。戦場に行って、命令されて、逆らい切れずに殺すのだ。逆らうべき相手を殺して一人っきりになることもできない。臆病者だ。弱虫だ。引きこもりよりひどい。のうのうと生きている。本当のことを言うのが怖い。僕だって人を愛してみたい。愛してみたいんだろう、だって僕は愛するということを知らないから。全く知らない素晴らしいことを僕だってやってみたいのだ。

 人生楽しけりゃそれでいいじゃん。笑って食ってセックスして遊びに行って子ども作って金使って、楽しけりゃなんだっていいじゃん。忘れろよ、バカにしろよ。失うことなんて恐れるなよ。絶対なんてないんだよ。なんて、言い聞かせてる自分はどっかで嘘をついている。本当に欲しいものがない空っぽの自分にどうにか折り合いをつけたい、うまくできるとかできないとかそういうことを考えるんじゃなくて、気の赴くままにやったことがそのまんま好きなこと、みたいに生きてみたい。ほんとうはそっち。そっちが本心。ありきたりの楽しさとかテンプレの幸せに興味はない。ううん、興味がないんじゃない。それが本物だったらそれでいい、でもそれが本物かどうかわかんないし、本当の幸せを手にしている人はどこかで他人を見下しているような気がして、そういうふうな幸せをつかんだときにきっと自分はいつかの昔の自分をバカにするんじゃないだろうかって思って、じゃあ今生きているこの自分ってなんなんだろうってよくわからなくなる。進歩史観ってやつが嫌いなのかもしれない。今が一番、って言葉は、いちばんの今がずっと比べられない形でいくつも並んで道を作ってるって意味だったらいいけど、過去と比べて今が一番いいんだって意味であるなら、嫌だって思う。未来の自分がもし今の自分より素敵だったとして、彼は僕をバカにしたりしないだろうか。そういう意味でちゃんと素敵な人間になっているのだろうか。そこのところがあてにできない。だから、梯子を上ってつかみとるような幸せじゃない何かを見出したいんだ。でも、今だって僕はじゅうぶんに他人をバカにして、順位をつけて、推し量ってる。ねえ、女の子はかわいいに越したことないってどれだけ思ってるの? 友達と呼べる人たちのあいだに順位をつけているのはなぜなの? どんな人とでも仲良くなれるなんて嘘? わからない、僕にはわからない。少なくとも卑屈な顔とかしないで本当に優しいことをできる人になれたらどんなにいいだろうって思う。