ポジティブ/ネガティブあるいは【A】〈けど〉【B】/【B】〈けど〉【A】

前にも同じようなことを書いたような気もするけど、ポジティブ/ネガティブってのは考え方の違いのようでいて、実のところ構図は意外とシンプルなんだろうと思った。

グラスに入った同じ量の水を「半分しかない」と見るか「半分もある」と見るか、なんてそんな複雑なことではなく。

 

【水が入っている】〈けど〉【半分だ】

と、

【半分だ】〈けど〉【水が入っている】

と。

 

【A】〈けど〉【B】

の構文において、入れ替え可能なAとBを、前と後ろどっちのカッコに入れるか。

その違いでしかないように思ったんだ。

 

なんでそんなこと思ったんだろ。

知らんけど一日中遊び歩いてへっとへとで帰ってきて風呂から上がった今そんなことを思う。

 

若い僕らはいつまでも現状に不服を申し立てながら生きている。

いいことなんていつまでも続かないし、人生は今後も60年近く続いていく見込み。

今と同じ60年が続くのだとしたら人生なんてくそみたいなもんだな、と思いながら、地を這うようにして暮らしている。

 

未来なんてわからないけれど、でも今日ふと帰り道に思ったのは、そうやって不満を垂れながらどこか遠くへ遠くへとさまようこの行為自体、実は今しかできないことで、後から振り返ったらあのときはどうだったこうだったと言われる過去になっていくんだろう、ということだった。

 

それが不思議だった。

 

今、こうやって、ぶうたれながら、吐き捨てるように笑いながら、あてもなく車を飛ばし、夜の町をふらついて、日付が変わるまで歩き続けている、そのことが実は、今を今として生きている証、その現れにほかならないとしたら。

 

誰の人生も止まらずに流れていって、「今」が未来においてどういう意味づけを与えられるかなんて絶対に知りようがない。みんなそれを知らないでとにかく生きている。悪いようでも、くそのようでも、振り返ったら過去になっていて、過去はまるで山のてっぺんから見た街並みみたいに輪郭がぼやけて細部は見えなくなっているはずで、そのときにはなんであれ僕たちは今まさに抱いているのと違う「印象」を受けるだろう。

そして「あのときは若かった」と思うんだろう。どうしようもなく。

 

全力で今をさまよっていてそれなりに楽しいこともあるけど、やっぱり人生はくそだ、と思うのか。

人生はくそかもしれないけど、全力で今をさまよってはいるしそれなりに楽しいことだってある、と思うのか。

【A】〈けど〉【B】、という文法の、AとBに何を持ってくるか、ポジティブとネガティブの差なんて所詮そんなもんでしかないのだとしたら、Bのほうにイイコトを持ってきて、とりあえず全部笑い飛ばせばいい気がした。

くそだ、と言いながら笑っているこの時間がなんとなく、今この瞬間にしかありえない、戻らないものなのかもしれない気がしたら、その感覚を大事に温めておけばいいんだろう。

 

【生きてる】〈けど〉【意味なんてない】

【意味なんてない】〈けど〉【生きてる】

 

生きているということは、とにかくいろんな風景を目にすること、ただ何かを目にしていること、それが目に入っては通り過ぎていくこと、なのかもしれない。

早回しの無声映画を眺めつづける、その不思議さみたいなものを、思い出しながらとりあえず歩いておけばいいのかな。

死に際に、不思議なものをたくさん見た、と思って、その事実にあらためて驚くように。

目に入るもののことをなるべく鮮烈に焼きつけつつ、押し流されてみてはどうか。

 

遊ぶとお金使うなあ。