アカペラ試論
おはようございます。
おとといは、サークル各位、冬ライブおつかれさまでした。
見に行くことはできませんでしたが、盛況っぷりはTwitterの流れでわかりました。
ほんとうは生で見たかった思いですが、それでも成功したならよかったなと遠くから思っていました。
冬ライブのことを耳にしながら、久々にアカペラについて思いをはせました。
昔とったきねづかで、今は解散してしまったバンドを、せめてアニュパくらいでは復活させて、歌ったりなんかできたらな、と思ったりもしました。
そんなふうにして、アカペラについて、いち文学人間の立場から考えたことを、ここで記しておきたいと思います。
サークルの人たちに、なるべく伝わる言葉でかけたらいいなと思います。
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アカペラというものは、「他人と集まって」やるものです。
このことは意外とうまくつかまえられないもので、僕もかつてずいぶん勘違いしていました。
やっぱりアカペラをカラオケの延長で考えているようなところがあって、だからアカペラのうまいへたも「個々人の能力で決定されるにちがいない」と信じていました。
でも、アカペラというのは、やっぱり「他人と集まってやる」というところに、表現のかたちの最たる特徴があります。
ふつうに一人で歌ったり演奏したり、というのは、自分じしんの発露です。
自分の心情をぶつければ演奏として成り立っちゃう、というところがある程度あります。
もちろん、最終的には「他人に向けて歌う」(他人のために、ではなく)というところに戻ってきてはしまうような気もするのですが、それでも「自分のため」である程度やっていけるようなところがあります。
しかし、アカペラはやはり、他人と集まってやるものです。
というか、他人が集まってしまったら、いいものを目指すには、そのかたちが与えてくる条件をきちんとつかまえてやらざるを得なくなるんです。
今回話したいのはそのことです。
アカペラにおいて大切だと考えられることは何でしょう。
そのなかで、「他人の音をきくこと」「歌を理解してうたうこと」、この二つではないか、と僕は予想します。
そしてこれはどちらも、「他人に寄りそう思考」でいないと、究極的にはできないのではないかな、と思います。
自分が過度にふくらみすぎると、他人の音は聞こえなくなります。
「自分はこうやればうまく歌えるはずだ」という思いが強くなりすぎると、どうしてもそこにばかり注意がいくものです。
自分に注意を向けること自体は悪いことではないと思うのですが、そればかりに頭がいってしまうと、どうしても独りよがりの歌い方になってしまうわけです。
そして逆に、自分を殺して他人のために奉仕するようなやり方というのも、うまくいきません。
ここを勘違いするとつらいのですが、集団で何かをするからと言って、集団のために個々人が犠牲になって、いいものが生まれることはありえません。
これまでの社会主義国家が零落しているのは、個を全体のために奉仕させる、という思想を全面にうちだしすぎたからです。
そういった意味では、ほんとうの社会主義によっぽど近い国家というのは、北欧あたりの国ではないかと、僕は先人の話を目にしたうえで考えています。
話がそれましたが、とにかく、全体のためバンドのため、というふうなやりかたはまずいです。
なぜかといえば、「全体」に注意を向けすぎても、結局のところ他のメンバーの音に耳を傾けることはできなくなるからです。
本当に他のメンバーの音に耳を傾けられる瞬間というのは、「他人を自分と同じ重みをもつ人間だ」ということを、等身大で理解できたときだけです。
自我を捨てろ、などということは、決して言わないのです。
ただ、他人にも自分とおなじだけの自我があるよ、ということをきちんと分かっていないと、他人というものを見誤るよ、ということです。
そのようにしないと、やはりほかのバンドメンバーの鳴らす音というものを、きちんと受け止めてあげることが難しくなる。
それは多分確実なのだと思います。
同様に、曲を理解することも大切です。
これはそれこそ、僕の本職にしたがっている文学のほうの話と相つうずるところがあるし、また上で言ったことにもつながることです。
要するに、「歌を自分自身にひきつけすぎて解釈しようとすると、結局歌が伝えようとしていることはわからないよ」ということです。
歌が聴かれたいように聴いてやる努力をしないと、どうしても歌は偽善的に聞こえたり、大仰な感動をともなって聞こえたりします。
僕なんかは自我意識がそうとう強かったので、やっぱりどんな歌もある程度偽善的に聞こえて仕方なかったのですが、最近ようやくそういうことから脱せられつつあるように思います。
長々しましたが、やはり大事なのは、他人との距離をうまく捕まえること、だと思います。
最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました。
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あと!(笑)
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でないと、誰がボタンを押してくれたか分からない(笑)
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