「職業選択」は重い

昨日はとある出版社の選考で名古屋まで行った。

そこで聞いてきたことについて今日は書く。

 

出版社が求めているのは、最終的にきちんとプロに育つ人材だ。

きちんと良質な企画を立て、それをフィニッシュまで引っ張っていく力量を持った編集者になってくれる人間、長年の積み重ねで培われたその力量を会社に還元してくれる人間を求めている。

もちろんそれは並大抵のことではない。

クリエイティブであるために常に貪欲なインプットが必要だし、企画を醸成するためには生活のあらゆる場面で常に企画について考えていなくてはいけない。

そのことは、作家が貪欲なインプットと搾りだすようなアウトプットを生活の前面において繰り返していかなくてはいけないこととほとんど変わらない。

 

「二足のわらじは履けないと思ってほしい、うちに来るなら選択と決断をしてほしい。」

そういうことを言われた。

編集者になることは、すなわち編集者としてのプロフェッショナルを一途に目指すことに他ならず、別の道でプロになることはありえない。

形は違えど死を見すえ生を賭けるという点では同じであるから、取り換えはきかない。

もし決断をするのであれば「生を賭してその道をいく」覚悟が要る。

 

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多かれ少なかれ、このことは就職活動をする以上どの会社にたいしても当てはまる気がする。

少なくとも「プロに育ち、会社に何かを返す人である」ことは、採用する側が求める絶対条件にはなると思う。

 

就職を選ぶ以上、人生を賭けるべき夢は宝箱に入れ鍵をかけておかなくてはいけない。

職業選択は生き方を選ぶこと、死ぬまでの道筋を選びとること、命をかける場所を選ぶことだ。

というと当然過言にはなるけれど、それでも天職に身をささげる人がいる以上、どこであれ覚悟を求められておかしいことはない。

それは非常に重いことで、ポーズだけ形作って見せるというのは至難の業だろう。

 

いずれ夢の箱を開けて、貪欲にならざるを得ない日がくるのを待てればとは思う。