刈谷PAより

とある企業の最終選考で名古屋にいました。
これから昼行バスで東京に戻ります。
高速道路から見える景色が久しぶりでわくわくする。

最終選考の最後の最後は居酒屋でのごはんでした。
ちっさい企業だとそういう採用選考の仕方もあるんだなあと思いました。
しっかり自分を見てもらえている、とこちらが納得できる形というのはなかなかないので、ありがたく思うべきなのでしょう。

本の話をたくさんしました。
「そこは読んどけよ!」って言われた本がたくさんありました。
難しい、分からん、となるのは当たり前だから構わない、一流のテクストにまずかじりつけと。

生きることへの貪欲さと、読書量なり教養なりの深さは比例するような気がしています。
もう少し生きることに貪欲であっていいのかもしれない。
それは、勤め人になろうが作家を志そうが結局求められることになるんでしょうね。
いや、作家を志すなら尚更、かもしれません。

正しいことを言おうとするな、と何度も言われました。
正しいことなんか言いようがないんだからと。
同じようなことは何度も言われてきた気もしますが、ちゃんと信念として、根づいたものとして考えを持った人に言われるのとそうでないとのでは、全然聞こえ方が違いました。
あるいは距離感の問題も大きいかな。
安住したい相手に突き放されるのはきついけれど、適度に距離のある人の言葉ならちゃんと言葉として聞ける。

その企業にいくかどうかはわかりません。
だいたい迎えてもらえるかどうかだってわからないわけですが笑
でも、適度な距離から不断に対決をせまってくれる、そして自分を更新したいと思わせてくれる人のいるところに身を置くことは、きっと良いことだ。
少なくとも、今の小さい自分に固執しているうちに周りがどんどん変わっていって、取り残されてバカを見るよりはよっぽどいい。

なぜ、とかどうして、とか問えるけど、その答えも今のままじゃ中途半端にしかならないですしね。
ちゃんと生きようとすることの意味とかひっくるめて全部、独善に陥らないで考えられるように、ちゃんと生きるように努めるのもありなのかなと思いました。