正解なんていうあったかくて優しいものはない世界なうだから


久しぶりに。


 


小説書いてません。


本も少ししか読んでません。


 


あんまり書くべし読むべしってスタート地点に固執しないほうがいいのかもしれない。


って最近思った。


 


書かねーのに小説書きたいとか意味不明。バカ?


って言われそうだけど実際書けないし書いていない。


そういう現状から始めるしかない。


べし、べし、ってあんまり意味ない。


 


最近のキレのある表現者ってみんなどこに行ってるんだろう。


ラノベかな、ボカロとか映像とかかな。


あるいはもう表現なんか無駄やーいって言って死んじゃってるのかもしれないな。


といってもキレのある表現を感受するほどのキレのある五感を私自身持っていないので何とも言えない。


 


実は所詮書けないやつだぞお前、っていう可能性をもっと頭に入れるべきかもしれない。


 


読んだ本のなかで言われてることはだいたいもう同じようなことばっかりに見える。


っていうかそれ何がおもろいの、全然それ響いてこないんだけど。


それどっちのせい?俺、それともあなた?


みたいな。


 


「ひよってんじゃねーよ、お前留保ばっかしてっけどそれって結局ただの臆病だぞ。」


って最近自分に言い聞かせているが、いざ文を書き始めたらそのくせはやっぱり抜けていない。


文字を書く。


置かれた文字が何かを断言していることがすごく今よく分かる。


断言しているってことは、「それ以外は否だ」ってつきつけること。


切れないものもあるかもしれない、でもそれも切ったことにして、とりあえず最後まで切り通す。


切れないでこぼれおちた物もある。


そういうもののほうが多いかもしれない。


それが腐ったゾンビになって夜襲をかけてこないかを心配するから、拾い集めようと留保をつけるけど、そんなことをしているとそれだけで精一杯になる。


拾いきれないもののほうが、かろうじて拾った気になったものの二億倍くらい多い。


 


でもバカの頭でそれを拾った気になってもムダだ。


自分が拾わなかったせいで損なわれるものなんてそうそうない。


そいつらはそいつらで勝手にやっている。


「君たちを傷つけてしまったかもしれないね……」


なんて言ってみろ。


言い返されるぞ。


「冗談じゃねえ殴るぞ。」


 


最近アプリにはまってた。


「アンサー」っていうチャットアプリ。


正真正銘見ず知らずの赤の他人同士が問答しあう場所だ。


SNSじゃない。


ソーシャルネットワークはそこにはないから。


参加する誰かが吐き出した白い息があわさってできた巨大な煙みたいなもの。


 


誰かに問いたかったし答えたかった。


正解を期待したし誰かの正解になりたかった。


何にたいする正解かっていうと、それはいまいち判然としないわけですが……でも、そうね、ちゃんと話ができる相手がほしかったのかな。


でもまあいずれにせよそんな期待はさくっと裏切られた。


裏切られたってか期待がお門違いだったね。


 


面白かったのは、匿名の空間のはずなのに、しばらくいるといかにそこが均質で多様性のかけらもない場所かがよく分かってくるってこと。


参加してるやつらって同じようなことで同じように悶々としてる連中なんだなってのが透けて見えてくる。


だいたい悩みの質も同じ。


恋人がかまってくれない、寂しい、明日の仕事が嫌だ、「この髪型どう?」、「このコーデに合わせるとしたら何色のパンプス?」……


バカか。


バカかって思うくらいに同じことでみんなが悩み、それに対してまともな回答を得られないままうだうだしている。


なんで同じような人間が群れ集まっているのに誰一人として満たされないでだらだらしているのだろう。


と思いました。


 


そして自分も同じように悶々としうだうだとしていた。


 


脱したのはそこにいても何も得られないことがよく分かったからだ。


少なくとも満足はしない。


なにも遂げられない。


 


そしていくらうだうだしようとそれは無駄な時間だし、同じようにうだうだしているやつらはどれだけ真剣に悩もうと勝手気ままに生きている。


つうじない言葉で悩んで問うて答えるやつもいる。


 


誰も別に他人のことなんて気にかけていないのに、そのくせ他人のことが気になって仕方ないみたいだし。


 


人間は別に望まれて生きていない。


頼まれて生きているわけでもない。


誰かに「生きていていいんだよ」って言われて、安心して生きていく、そんなものでは決してない。


家族も友達も恋人も、今だから大事だし大事にできるものだけど、それ以上のものではない。


背中は押されつづけるためにあるわけじゃない。


 


書かれたものが「読んで肯定して!」っていうものでしかなかったらそれは曇った目から見た景色汚れた肺から出た言葉でしかない。


誰もそんなものに関心を持たない。


そんなものに関心を持つ暇は誰にもない。


みんな濁った眼で答えを探して汚れた肺で息をするのに必死で、他人が同じようなことでうめいている声なんか耳にも入らない。


それもまた愚かなことに思えるけれどそれが現状だ。


 


残念だけど「大丈夫だよ」なんて言ってもらえないと思ったほうがいい。


でもそれは倫理的な判断とかじゃなくて、今の世界のありさまがそうだからそうにすぎないって話。