生活を編成する
バカ眠いけど更新する。きちんと時差ボケしてやがんのな。眠いぜ。
いい音楽を作る人、いい小説を書く人、いい絵を描く人。
いい何かを作る人に限って、クソ野郎だったりする。
みたいな話をだれかがしていて、まあ確かにそうかもしれないといくつか例を頭の中に浮かべて思った。
エリック・クラプトンは麻薬中毒だったし、太宰治は自殺未遂繰り返した女たらしだし、フランシス・ベーコンも生活は自堕落だったし。
ただ今日思ったんだけど、クソみたいな人と言ったときにそれは「クリエイターとしては第一級だけどそれ以外の部分がクソ」という意味なのであって、「クリエイターとしてもクソみたいな仕事の仕方しかしないくせにいいものを作る」という意味では断じてないはずだ。
少なからず作り手として譲れないこだわりを持っているに違いない。
裏を返せばそのこだわりにエネルギーが流れすぎてほかの部分が疎かになった結果彼らはクソ野郎なのだ。
自堕落に過ごしていれば何かが生まれるというものでもない。
ということで生活を編成します。
メリハリを与えます。
ルールを決めて生活をします。
- 22時から24時は執筆にあてる
書くのが好きとか書かずにはいられないって言葉に振り回されてばっかりいたけど、別に俺はほっとけば何か書き出すタイプでもないし(そういう日もあるけど)「ここはやるところだからきちんとやる」って決めたほうがちゃんとできる。
今までの自分の生活振り返ればまあ当たり前のようにそうだ。
だからそうします。
……今のところこれしか思いつかない。
たぶん何かを考えるには眠すぎるし疲れすぎているからだと思う。
ああでもいろいろ考えたいしいろいろやりたいな。
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関係ないんだけど本を読むことにたいする意識で少し目からウロコなことがあった。
今までほんとに「本は何かのために読む」と思ってた。
でもスペインで会ったドイツ人の女の人が「本は暇つぶしになるからいいよね」みたいなことを言ってて、
「本って暇つぶしのために読むものって考えてもいいのか!」
と本気で驚いた。
今までもたぶんどこかで誰かに言われたことのある言葉だと思うんだけど、そんなふうに驚いたのは初めてだった。
外国にいて頭の中の信念がいろいろ揺らいでいたせいだったのかもしれない。普段案外人の話聞いてるようで聞いてないし。聞いてても頑なに受け入れたがらないところもあるし。
でも読書に対するスタンスのうち、俺がもっと早く受け入れてもよかったはずの反面を、運よく教われたって気がするからそのこと自体はなんにせようれしい。
そして逆に言えば、外国にいるときみたいに自分の信念が兎角ぐちゃぐちゃになっているときは、いろいろなことを受け入れやすくなるものなのかもしれない。
何がしかの理由で思考が頑なになりすぎていて、ほんとは受け入れたほうがいいはずのものが受け入れられなくなっている、ということは結構多いんではないか。
じきにもう一回くらい海外行きたいな。