愛しさと切なさと仕事始めと

早いもので年末年始の休みがもう終わろうとしている。帰省した瞬間に更新のペースが劇的に落ちていて、なんだかわかりやすいなあと自分でも思う。このブログに対するスタンスは本当に「チラシの裏」以上日記帳以下、といった感じで、コンテンツとして継続的に魅力を持たせよう、などということはほんの少ししか考えていない(そりゃ多少は意識するものの)ので、更新のペースが上がった下がったで僕自身が気にやむところというのはそんなにないのである。じゃあこんなものをなんで更新しているかと言えば、それはひとつには思考の便秘を防ぐためであり、もうひとつには「あとで読み返すと案外楽しいから」という理由でしかない。深い理由なんてないのである。。。

して、年始である。明日には東京を発ち、明後日には仕事が始まる。明日までに多少は仕事モードに移行しておかないと、おそらく明後日から身体が死ぬほど動かなくて狼狽することだろう。今から結構怖い。わかっているのに対策を打たずにここまで来てしまう自分も怖い。
仕事というのも学生時代の部活や勉強、あるいはピアノの練習なんかとある意味では変わらないな、とときどき思う。頭脳労働といったって、結局は手を動かし身体を動かしているのだから、何もしない時間が続けばじきに身体の動かし方は忘れてしまう。一日サボったら取り戻すのに三日云々というのは前時代的な響きがして嫌いな理屈だが、高校時代にバドミントンをやっていたころ、試験期間が明けて久々の部活で、いざコートに入ってみると天井とシャトルがいやに白くぼやけて見えたのはよく覚えている。あの感覚がある以上、人の身体というのは忘れっぽくできているのだという事実を抜きにものを言うことはできない。

休みの日というのも、嬉しいようで嫌いだ。どうあがいても終わるのが嫌だ。休みじゃない日々に戻っていくのが嫌だ。短めの人生が一つ終わるような感じがする。幸い僕は、様々なことにかんして良かったことばかり覚えているタチだから、善かれ悪しかれ一つのvacationが終わりに近づいていくと、それにつれて良かったことばかり思い出すようになる。休みが終わり、生活が始まる。命が終わっていくようなやるせなさに襲われるとともに、死に近づくということにともなう実感がこんなものなのであれば、それほど恐れるほどのことはないな、という気がしてくる。どんなものでも終わってしまうんだなあ、命さえも。……巻き込まれてるなあ、というか、どうしようもなさが切ない上、逆らう気もなくなってくる。

人と会うのも、体力がいる。身勝手だけれど、会いたいときには人はいないし、飽きるほど会ったら一人になりたくなる。贅沢なものだ。そういうふうに思うしかないのかもしれない。全部に感謝できるんだったら、最初からすべてをありがたく思えるのなら、そこに切なさや行き違いはないし、だとすれば感謝もないのかもしれない。身を裂く甘やかさは、僕たちの身勝手の所産だ。

新年早々とりとめがない。連休最終日の前日、疲れているのかもしれない。しょうがないね。