いけるとこまでいくと飽きが来るもんですね。というか飽きじゃないんだ。壁なんだ。これは壁なんだ。

 

がらっと変えようと思ったらやっぱりがらっと変えなきゃいけない。

 

発声はもういいや。もういい、というかこれ以上「発声そのものにフォーカスしても

うまくいかない。つまりもう、全然違うところに頭を持っていかないと。

ここで発声と呼んでいるのはあくまで狭義のそれであって、まだここからやれることはたくさんあるわけだ。
いわゆる「英語と日本語はそもそも声帯の使い方が根本から違う」みたいな話の、その根本の部分を徹底して考えてきたわけで。
そこの部分はかなり改善されたのだけど、じゃあそれだけで英語しゃべれるようになんのかっつったら違う。

次をやらないと。

英語は表情筋をがっつり使う言語だ、とか、英語は舌の使い方が日本語と全く違う、とか。

歌特有の話でいえば、呼吸をいかにスムーズに声帯まで通すか、とか。

そういう、もっと広い意味での発声を考えるほうに進んでいっていい段階に来てるかもしれない。
今のアプローチでの改善には限界がある、というか、自分でできる限りの限界にまでは来たような気がする。

別の視角から改善を目指していって、その結果を見て、それからそのフィードバックをしていけばいいというか。
今のアプローチをさらに磨くには、全然違うことをやって、その結果からひるがえるような形をとらないといけないように思えてきた。

裏声地声両面からアプローチするのが重要であるのと同じで。

発声っていうのは分解だけじゃなくて再構築、再統合のプロセスなんだ。
全部ぶっ壊したらまた組み立てないと。総合しないと。
部分の練習とは違う視覚を持たないといけないんだ。