顎は付け根のあたりから伸ばすように開ける。
後頭部に向かって頭を引くように、というのは、口を開けるときに下顎を①下に落とす、②少し前に出す、という二つのプロセスをとるからで(大雑把ではあるけれど筋肉の構造上そうなっているらしい)、①②を両方こなすと必然的に顎は斜め下前方向に動くことになるわけで、それを「下顎に力を入れない」で実現するとなると、「上顎を後頭部のほうに引く」という表現になってくるわけだ。
上顎自体は開かないので、あくまでもそういう意識で「下顎を力まず開く」というだけの話なのだが。
(中指と人差し指を開く比喩で考えるとわかりやすい? 人差し指を上顎、中指を下顎に喩えて考える。中指側に力を入れても入れなくても指の間を開くことはできる。)

声のミックス、つまり輪状甲状筋の参加はmid1G〜mid2Aから始まっていていい。その音域でずーっと歌い続けるというのなら話は別かもしれないが、音域が高低したり徐々に上がる曲の場合はそう言える気がする。
高音は軽く出せないとどうしようもない。力む出し方はやってもいいけど「しかできない」はダメだ。というか、力まない出し方という基礎の上に力みがないと、歌声としても汚い声しか出せないからダメなのだ。

早口言葉万歳。

 
表情筋は顔の前面、少なくとも頬骨より内側についていると考えて大過ないので、それより外側に力を入れないほうがいい。
首の力みにつながって発声が固くなるため。
 
表情筋も随意筋だから、どこにどういう動かしかたのできる筋肉があるか知っておいて損はないだろう。
 
ただ歌うときは、強調する子音以外は立てすぎないほうがいい。
だから母音、口の開き自体は変えないで、なるべく舌で発音を作ってサラッと流すのが望ましいのかもしれない。
ワンオクのtakaの歌い方なんか聞いてるとそんな気がする。
 
***
 
アイウエオにも子音の音素がついている音の一つと考えて処理したほうがいいのかもしれないと今さっき思った。
油断するといちばん「言おうとする」のがアイウエオだからだ。他の音であれば、子音部分は舌や唇の動きで、母音は原音と口の開きで、といった使い分けがどことなくできる。
でもアイウエオはそうじゃない。力を逃がす先のようなものが見当たらないから力が入りやすい。少なくとも自分の場合はそうだ。
 
子音のある音にかんしては、今まで下顎などや舌根に入っていた力みを、言ってみれば舌や表情筋に「移し替える」ことで発声を楽にすることに成功したわけだ。
声を生む段階で子音を作ろうとすることをやめて、意識を別の部分に持っていく。
1を別のところに1のまま移項させるようなものだ。
 
ところが、アイウエオに関してはそれがきかない。
舌の動きや唇の動きで音を作る必要がないからだ。
必要なのは、あくまで舌の脱力と表情筋のコントロールだけで、口の形さえ作ってしまえば、あとは声帯を震わせてやるだけでいい。
ところが、「声を出そう声を出そう」と意識をしていると、そこで余計な力が入ってくる。子音の場合は別のところに移せた力を、移す先がない。
 
自覚としては、アイウエオという母音単体で作る音については、子音と母音の組み合わせでできる音よりも、少ない力で出せるということをおさえておくべきなのだろう。
 

酒をたらふく飲んだ日はひたすら寝るに限る。
何したって間違いだし何したって後悔にしか繋がらないんだから。

歌うときはやっぱり舌をうまく使わないとダメっぽい。
基本的には舌で子音を作るようにしないと、裏声地声のバランスが崩れやすい。
そらそうだね、日本人はしゃべるときに声帯の開閉にかなり頼って子音作ってるんだもの。
歌声として最適な発声のバランスができたとしても、そこに日本語的な子音の作り方を持ち込むと、閉鎖が過剰になる。
鼻に詰まった声にならないようにするには、舌をうまく使って子音を作らないといかんのだろう。

案の定、早口言葉をやってみたら、自分が全く「ちゃんと言えない」ことに気がついた。
発声を維持したまま(原音を崩さない)で言葉を言おうとすると、全く言えないのだ。
どうしても舌や表情筋を使わざるをえなくなる。
そして、普段使い慣れていない筋肉であるがゆえに、やりはじめて間もなく、まさに筋トレ後のような疲れに襲われるのである。

歌うときはほとんど無理やり声帯で押し通してきたのだということがはっきりしたと言っていい。
つまり、滑舌の改善はそのまま、声帯の働きを邪魔しないスムーズな発声につながるだろう。
言葉の発音を舌や表情筋に大きくまかせてしまえば、声帯の負担もそのぶん減るから、滑舌の改善によるメリットは相当大きいはずだ。

表情筋と呼吸系の腹周りの筋肉で歌う意識に持っていったら、案の定大革命が起きた。

革命的に歌いやすくなった。

びっくりした。

でもこれはほんと、喉ができあがってなんぼの話なんだということもまた自分の体験的にわかっているから、歌うまくなりたいって人に対して「腹から声出すといい」とか「腹式呼吸が大事」とか絶対言えない。

というかボイトレ業界だとそのへんはもう通例というか常識になっているみたいだけど。

 

しかしまだ喉で声を揺らす癖があるのでそれをはやく取りたい。

語尾の処理がやりきれなくて喉ゆらしたりとか、ロングトーンを喉に力入れて伸ばしたりとか。

腹筋に意識をすぐ持っていくのが大事で、そのときに重要なのは意識するポイントっていうのは思った以上に下だってこと。

丹田って言葉がようやくきいてくるなあとひしひし思う。

あとは背筋に意識を持っていくってところか。

いわゆる声の支えというか、要するに力をどこに逃がすのがいちばんいいかって話で、まあ脱力の基本は体幹にあり、みたいな話はすっかりスポーツ業界なんかでも知れ渡ってるわけで、それを応用してやればいいということで。

末端ではなく、体幹まずあり、と。

 

透き通った感じの声をうまく出せるようになりたいのだけれど、どうも何かが足りない。でも少なくとも、喉のあたりから息を出すのでないことはたしかだ。あくまで息は腹から出していく。喉は本当にわずかな動きでぶれてしまうから、ごくごくごく微妙な動きしかさせるべきじゃない。

 

いやはやはやむずかしむずかし。

いけるとこまでいくと飽きが来るもんですね。というか飽きじゃないんだ。壁なんだ。これは壁なんだ。

 

がらっと変えようと思ったらやっぱりがらっと変えなきゃいけない。

 

発声はもういいや。もういい、というかこれ以上「発声そのものにフォーカスしても

うまくいかない。つまりもう、全然違うところに頭を持っていかないと。

ここで発声と呼んでいるのはあくまで狭義のそれであって、まだここからやれることはたくさんあるわけだ。
いわゆる「英語と日本語はそもそも声帯の使い方が根本から違う」みたいな話の、その根本の部分を徹底して考えてきたわけで。
そこの部分はかなり改善されたのだけど、じゃあそれだけで英語しゃべれるようになんのかっつったら違う。

次をやらないと。

英語は表情筋をがっつり使う言語だ、とか、英語は舌の使い方が日本語と全く違う、とか。

歌特有の話でいえば、呼吸をいかにスムーズに声帯まで通すか、とか。

そういう、もっと広い意味での発声を考えるほうに進んでいっていい段階に来てるかもしれない。
今のアプローチでの改善には限界がある、というか、自分でできる限りの限界にまでは来たような気がする。

別の視角から改善を目指していって、その結果を見て、それからそのフィードバックをしていけばいいというか。
今のアプローチをさらに磨くには、全然違うことをやって、その結果からひるがえるような形をとらないといけないように思えてきた。

裏声地声両面からアプローチするのが重要であるのと同じで。

発声っていうのは分解だけじゃなくて再構築、再統合のプロセスなんだ。
全部ぶっ壊したらまた組み立てないと。総合しないと。
部分の練習とは違う視覚を持たないといけないんだ。

ドラゲナイドラゲナイ言ってわりと馬鹿にしてたクチですが、あの曲って歌うとかなり難しいんですね。
音程の乱高下っぷりがいやはや。

鋭く音が出るような発音を、逆算的に追求することをし始めました。
どっちがいいんだろうな、「アはこうやって、イはこうやって……」と出し方を考えるのと。
どっちのほうが記憶の定着が早いか、くらいの話でしかないとはまあ思うんですけども。

同時にこれからやらなきゃいけないのは、裏声の強化、というより同じ手順をとる逆算なのかなと。
つまり、裏声の出しやすさから逆算して、歌うときの発音を見つけていく、と。
で、最大公約数に、閉鎖ができてかつ裏声も出せる発音に落着すればいいのかな、みたいなそんな目論見です。
そんなうまくいくもんかはわからんですが、多分裏声がいま全然弱いんだよな。今まであんまり自分の裏声を信用してなかったから、裏声主体で歌ったってうまく歌えないだろうと開き直ってたんですね。
あくまで地声とサブとして裏声を考えてた。
だけど、やっぱりツヤのある滑らかな声を出すには裏声の比率を上げていくことはどう考えても不可欠なんだよな。

少し回り道になるかもしれないけど試す価値はあるだろう。そいそい。