Take it easy......なんて自分に言い聞かせることにあんまり意味はなくて、プレッシャーのもとになってるものをちゃんと絶ってやらなきゃますますどんづまりだよ、っていうことを思ったので、もうちょっと納得できる理屈というか自分自身でちゃんと飲み込める話をしたいと思う。

書き出しから何言ってるかよくわからないと思うので早速本題です。

 

うまく書けないときどうするか。

これです。

 

まあうまく書けない理由なんて腐るほどありそうだし、それを全部今考えようったって時間の無駄だろうから、とりあえず今自分が書けなくて「どうしよう!」ってなって心痛ないし胃痛を経験している(本当に書けないせいで胃が痛いのかわからないけど)ゆえんのところのものについてだけ考えたい。

 

絵の描き方、とくに油絵なんかはそうだと思うんだけど、いくらでもあれって上から絵具を塗り足せるんですよね。

鉛筆デッサンにしたってそうだけど、別に一本の線だけできれいに書こうなんてことは出来やしなくて、「大体こんな感じ」を繰り返してだんだん形にしていく。

まあ下手な人は微細なところから丁寧に書きすぎたり、一回書いた線に固執しちゃったりするわけですが。

 

で、下に塗った絵具とか、「大体」の段階で書いた線とか、そういうのって無駄になるかというと必ずしも多分そうではない。

失敗しても何度でもやり直せる、とかそういう話ではないと思う。

多分、上手い人は最終的には全部をひっくるめて「作品」として現前させるにいたるのだ。

失敗、と呼ばれる部分さえ作品の一部にしてしまえるというか、それがないとむしろ作品として奥行きが出ないというか。

実に不思議な話だけど、そういうところがあるのではないかと思う。

 

たとえば自分なんかはこのブログのこの記事一つのこの前述した箇所に限ってだけでも、「そんな絵の描き方のプロセスなんて西洋近代のリアリズム的思想のもとでの考え方にすぎないではないか!やり直し!」みたいな、陳腐な頭で考えうる限りもっとも答えにくそうな問いを自分自身にぶつけたりして、勝手に自分で苦しみはじめたりするのである。

途中でどうでもいいことにつまづいて書きたいことまで一気に流れこめないのは、ある意味ヘタクソの証左である。

 

小説書くのだって、ある意味デッサンのようなものかもしれないのだ。

それがどんなに陳腐な発想であろうと、ヘタクソな絵しか描けないやつがそれを否定して独創性を追求しようなんてのは100年くらい早い話である。

ともあれ自分の感性をゆるめずに、「自分の書きたいことってだいたいこんな感じだよね」とあたりをつけて書いてみる。

多少支離滅裂になるのは仕方ない、だって書いてる初めから自分が書こうとしている物語の全貌を知っている人間はいないんだから。

支離滅裂になってでも表現しようと追いかけた何かがちゃんとあって、それを貫いた粗い線が書けたら、そのあとで細かいことを考え直せばいいのだ。

 

中学校の図書館だったか、暇な時間にピカソの伝記というか画集というか、そんな本を読んだような覚えがある。

そこにも書いてあったけれど、ピカソも若い頃は死ぬほどデッサンをしたという。

写実的に書いてもピカソは抜群にうまかったのだ。

それでもそこに限界を感じて、ようやくその先に進むことができた。

 

方法論ありきか、型にはまるのか、なんてことを考えずに、ともあれ「気楽にデッサン的なスタンスで行こうではないか!それこそがいいんだ!」と思いながら、無駄と矛盾の多い書き方を繰り返していけばいいのではないか。

そういうささやかな示唆を得た昨日の夜から今朝にかけて。