体力のこと

アホほど体力がないな、と実感したので、ランニングでも始めようかと考えています。

ウェアやランニングシューズやといった大仰な道具はもちろん、Tシャツやそれっぽいスニーカーすらないので、その調達だけしなくては始められないんですが。

でも今日明日には始められる話だよね、と思うのでやろうと考えてます。

 

集中力は体力に比例するとかしないとか、という話を目にしたわけです。

ありそうな話ですよね。

結局本を読むのも何かを創作するのも、向き合いつづけるのには疲れない体があってこそ、みたいな。

子どもの頃はいくらでも本を読んでいられた気がするし、高校生のときはぶっ通しで一クール分アニメ見ても平気だった。

それはやっぱり身体があってこそだったんだろうな。

 

宣言して始めてみたら全然続かない、というのがこれまでの恒例だったんですが、ゆっくり継続することに主眼を置いてやっていきたいと思います。

無駄にストイックな早起きをしたり無駄な全力疾走をしたりするのはいい加減やめよう。

 

ところで、基礎体力づくりを意図的にやっていく、というのはずいぶん現代的な行為なのかな、なんてちらりと思ったり。

村上春樹はマラソンやらトライアスロンやらやってるみたいですが、夏目漱石が同じことをしていたとは思えない。

昔の人って、散歩の距離なんかも尋常じゃなかったように思えますし。

ちゃんと検証したことないのでわかんないですけどね。

でも、本郷近辺をひょいひょい歩いてるシーンとかちょっと古い小説じゃぽんぽん見るけど、それだって平成人がやったら結構へとへとになるんじゃないのかな。

交通の発達とか行動様式の変化とか、色んなことが影響してそうとか漠然と思いますけどね。

ちゃんと誰かが考えてそう。

ちょっとそういう論考あったら読んでみたいですね。

 

いつもより日記くさくない日記だ。