『ジョゼと虎と魚たち』

昨日観ました。

巷だとかなり評価高かったり、20代くらいの若い世代に是非見てほしい映画だと言われていたりするんですが、自分はすっとなじめませんでした。

いや、多分20代のうちにいろいろ経験したあと、というか仕事はじめて5年とか6年くらい経ったとき、もう一度見直すと腑に落ちる場面もあるとは思うんだけど。

でもそれはもうよくて、僕には夢も希望もないああいう恋愛映画は好きじゃないや。

 

ヤリまくり大学生(妻夫木聡)が、ババアと貧乏暮らしをしている身障者(池脇千鶴)と恋におちて、しばらく付き合って別れる話です。端的に言うと。

たしかに説教くさい映画とかでは全くなかったし、そこは見ていて鼻についたりはしなかった。

でも別の方面でもっとひっかかったよね。

ほんとに、すぐヤるし。

なんかこの先何十年もつきあっていくのムリそう、とか思ったらすぐ別れるし。

って、どっちも割と当たり前の流れといえばそうなんだけど。

でも俺そういうの嫌なんだよね。

 

人と人の間には、すごく広い断絶があるもので、それは健常者と身障者にかぎった話ではない、とは思う。

でもその断絶をこえようと、バカみたいに両岸から手をのばしあっているような話のほうが、俺は好きだ。

それは多分俺が若いからだし、レイモンド・カーヴァーが描いたみたいな生活の閉塞感とか悲しさを少しでもリアルに実感してしまったら、また見方がだいぶ変わってくるのかもしれない、とは思う。

だけどそんなのって嫌だよね。

ちぎれるくらい右手と左手のばしあって、握ったり離れたりしながら全速力で走っていくような、恋愛にかぎらずそういう関係が俺はいい。

 

同時に、かぎりなく怖くもなる。

考えないように考えないようにってしてるけど、果たして働きはじめてもなお俺は真剣に手をつなごうとし続けられるのか?

毎日が同じ繰り返しの労働の日々、なんていうのはウソだと思う。

やることは日々変わるし、やれることも日々多くなるかもしれない。

でも、はたらいてはやすんでを繰り返してるって意味じゃ、確かに「変わらない」日々だ。

そうやって40年をやり過ごすなかで、閉塞感みたいなものに俺もいずれ出会いはしないか?

 

息詰まるような日々の中で、誰かと真剣に向き合うことさえバカバカしくなってしまわないかと怖くなる。

 

いずれ独立したいな、なんでもいいから笑

毎日お祭りみたいに生きていたいや。

 

でも最近思うことだけど、ほんとにお祭りみたいに生きるって、歳をとるごとに難しくなるのかな。

周りのみんなが遊んでくれなくなる、ってのがまずいちばんね笑

ひいひい言いながら仕事をする時期を抜けだせば、ビジネスモデルの枠をうまく設定したなかで遊べる時期も訪れるかもしれないし。

でもそのとき果たしてどれだけの人と、最高潮に盛り上がれる瞬間を共有できるような関係を持っていられているだろう。

 

ちなみに僕の中で「お祭り」とは、誰かとバカみたいにはしゃいでてっぺんまで行っちゃうような体験のことを指してます。

まあなかなかないんだけどね。

小説をノリノリで書けてるときはいいんだけど、そうじゃないときはとことん誰かと祭りしたくなるよね。

 

それと。

祭りしては退屈に耐える、そういう繰り返しの果てに結局死が待ってますけど。

「どーせ死ぬし」って思わず投げやりにならず生きるにはどうしたらいいんでしょ。

でもまあ、そういうことを思うのは、もっぱら孤独で退屈しているときなんですが。

 

今日も一日頑張ろう。