気分
自分はずいぶんな飽き性で、よほどのことがない限り同じことを一時間としていられない。
本を読むにしても、三十分も経つと飽きてしまって、違う本を読みだしたりする。
雑誌の記事を読んだかと思うと、マンガを読みだし、二巻も読んでしまうと小説に手をつけ……
こんなふうにころころ読む本を変えていくのだけれど、やっぱりそのときの選択は、そのときの気分に依ってくる。
たかだか三十分ごとですら気分は変わるのだ。
目的がはっきりしているときは、さすがに話は別かもしれない。
やらなきゃいけない宿題や調べ物をするときには、そうそうあっちこっち脇道にそれることはない。
でも、はっきりした目的がないときは、そのときそのときの行動はなんとはない気分に左右される。
今日は皿洗いをした。
実家にいれば、皿洗いはたいがい母親がやってくれる。
でも今日はなぜか皿を洗いたくなり、皿を洗った。
グラスの底、箸のお尻までスポンジでぬぐい、水でじっくり時間をかけて泡を流した。
コーヒーを飲んだとき、マグカップに洗い残しがあって、そのときの臭いが気になったせいもあったかもしれない。
たまたまシンクにたまっていた食器が少なかったからというのもあるだろう。
でも、そういう条件を抜きにしても、皿を洗った動機には「なんとはない気分」があった。
それと、今日は少し身体にいいことをしたくなった。
久しく食べていなかった納豆を食べたし、汗をかいて体を軽くした。
そういうことで心が喜ぶのを感じた。
自分は普段から健康を気にかけているわけではない。
もちろん、心身のいずれかが変調をきたせば、それがもう一方に影響するのはわかっているつもりだから、とりわけ気持ちが落ちているときなどは食生活を一時的に気をつけてみたりはする。
でも、普段から栄養バランスを気にかけたり、運動したりしているわけではない。
それでも、身体を気づかってみることがもたらす喜びを、かみしめてみたくなるときが、ときどきやってくる。
それは気分に導かれているとしか言いようがない。
把握するより前に、気分は上下する。
いや、上下するだけじゃない。
気分というのは三次元的に動くところがある。
気分が上向くというけれども、一口に上向くといっても、穏やかな心持になったり活発に動きたくなったり、上向き方の質には色々ある。
生きているかぎり、その気分の動きを先んじてつかまえることはできない。
気分の方が先んじているとさえ言える気がする。
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一緒に生きている人に、多分に迷惑をかけてしまうということがある。
自分で管理しきれない気まぐれというのがたえずあって、そのことが誰かを不快にしたり怒らせたりすることがある。
ときどきは、そういうことによって、大切なものを知らず知らずぶち壊しにしてしまう場合もある。