20代

村上春樹が小説を書きはじめたのがやっぱり大体30歳くらいで、だったら俺もそれまでは書けるタイミングにぽつぽつと無理なく書きつつ、お勉強のほうに軸足おく過ごし方でいいかな、と思った。

妥協とも違うんだけど、というかそう思いたいだけなんだけど、まああながち的外れでもないだろう。

 

30歳くらいになると、世界や人生とどう関わるか、方向性が決まってくるんじゃなかろうか。

 

20代はたぶん悩み続けるんだろう。

それはもう、「何が悩みなのかさえ分からない」という形をとりつづけるような思い悩みが延々と続いていくんだと思う。

自分が本当に何がしたいのかもよくわかっていないまま、わからないなりのもがきかたをせざるを得ないというか。

 

もちろん今だって真剣は真剣なんだけど、それが周りからちゃんと評価されることはあんまりない。

「そんなの努力が足りないだけじゃね?」と嘲笑されることもよくあるけど、それが正しいかどうかの判断さえうまくつかないから、結局よく方向性のつかめていない努力を延々と続けることは避けられない。

 

十分に悩み、インプットもそれなりに積み重なった段階。

(加えて言えば、情動や欲望に振り回されずに済むようになる段階でもあるかもしれない)

そこに至ってようやく、じゃあこんな自分は人生をどうしていこうか、「世界との関わり方は自分なりの限られたものしか持ちえないものだ」ということがわかったうえでどう世界と関わっていこうか、という問いが生まれてくるのではないか。

そしてその問いは、深く掘り下げるタイプのアプローチで答えを探していくようなものだろう。

 

ブッダやキリストが30歳前後で活動をはじめた、というのもなんとなくわかる気がする。

 

今は、的外れでも、引きずられていくがままにあちこちを掘っていくしかできないんだろうな。

それが20代の限界なんだ、と言い切るのは難しい(し、年上の人から言われるのも癪だったりする)わけだけど、とはいえやれることを目一杯やっていこうと思ってふるまった結果そんな感じだから、受け止めるしかない部分はある。

20代らしく、(20代という年代をふくめた色々な)制約を超えに行くふるまいを続けていくとしましょう。

 

しかし、だからってさ、経験ばっかりが勝っている年上の人たちに、大事にしようと頑張っているものを奪い去られていくのって、やっぱり癪だよね。死ぬほど。