何か言わせてほしい。何か言わなくては。頼むから僕に何か言わせてくれ。そしてその言葉で僕の操り人形になってくれ。思い通りになってくれ。僕はもう疲れた。僕の弱さのせいで誰もかれもに引きずり込まれてしまうことに疲れ果てた。

それが若さのせいだというのならさっさと歳を取らせてくれ。

嘘だ。

歳を取ったあとで何もかも今のことを忘れてしまうのなら歳など取らないほうがいい。

よかったときのことばかりを思い出す……とはいえ「こんなことがあったんだ」と口にしてみた途端にそれが遠い昔のことに思えて悲しくはなるけれど。

歳を重ねることで幸せになれるとすればそれはまた歳を取ることによって不幸にもなりうるということを表しているに他ならない。

 

それでも僕は今疲れ果てている。

何も思い通りにならない。

そう、僕は自分の欲望を肯定しよう。

全てが思い通りになればいいのにと願っている。

好きな人とは永遠に、こなしたいことはそつもなく。言葉はオーラに満ち溢れ、知識はあまねくすべてに及ぶ。あらゆるものが僕にひざまずく。僕は世界の王になる。

 

すべてを見下ろし、すべてに情けを。

そんなところに立てたらそれはそれはそれは楽だろう。

 

人間のふりは疲れます。

僕は寂しい。とっても寂しい。

寂しがりやじゃありません。さびしい人間だそうです。

いわれて初めて気が付いた。

僕はさびしい人間です。

 

人を愛するすべを知らない。

今となっては誰も愛せない。

手にしたものもいつかは離れる。

それならいっそ執着しないで。

僕は我慢する。

しっかりこらえる。

離れたときのための予防線。さよならするときも「準備はもうできていたから大丈夫」だって言えるようにね。

一瞬の痛みを軽くするために数年の鈍痛に耐え続けるんだ。

 

「何の意味があるの?」なんて問わない人のほうが世の中多いみたいです。

「何の意味があるの?」なんて問いに何の意味があるの?人生80年もあるのに。そんなこと考えたら残りの57年に意味がなくなっちゃうよ。

「何の意味があるの?」が「なんの意味もないよ」と同義にならなければいいなと僕は思い続けているわけです。思い続けているだけです。

「先読みのし過ぎなんて意味のないことはやめて今日は美味しいものを食べようよ未来はずっと先だよ誰にもわからない」

 

自分の殻のありかをつきつけられる快感とむなしさ。

自分のことが分かれば分かるほど堂々巡りはお盛んになっていく。

自分の中を流れる論理のことを知れば知るほど、よくもまあうまく体系ができているものだと呆れるばかりだ。感心する。

全部「意味がない」につながっている。意味がない、が公理ってわけだ。

頼むよ僕の公理系ぶっこわしちゃって。

 

僕の想像力の殻をぶっ壊すようなものを僕の内側から引きずり出したときそれは必ずや傑作になることでしょう。