(can't) movin' on without you

宇多田ヒカルの「Movin' on without you」をヘビロテしながら書く。

この曲にかんしては原曲も絢香ver.も好きだけど、気分によってどっちが聴きたくなるか全く変わってくる。
原曲はやっぱりチャラいから圧倒的に元気なときに聴きたくなる。
「First Love」のときの宇多田さん全体的にチャラいし。今や時代を感じさせるPVもやっぱり演出がどことなく煽情的だし。

しかしなあ、今の気持ちとしてはCan't move on without youって感じですよ。

狭い自分だけの視野で考えてると、どんなにいろんな角度から考えようとしても袋小路に追い込まれていくものらしい。
集団思考って言葉もあるけど、一人でいると考えが極端になっていくのも似たようなもんだよね。
だから煮詰まる前に人と会うなり勉強するなりしたほうがいいんだ。

最近書いた以上のものを、当然いずれは書きたいし書けるはずだと信じてはいるけれど、なんだか今のままだと限界がある気がする。
言葉にしたいものはなんとなく渦巻いているんだけど、自分の中にそれを形にできるだけの材料が整っていない感覚がすごくある。
経験不足といってもいいし勉強不足といってもいい。

めちゃくちゃなことをいっぱいやっていれば、自分を今とは違うところに連れていくことは案外できるもんなんだと知ったのです。
そしてまさに「今とは違うところに動いた」というその事実だけで漠然と元気になれるというか。
不思議なことに、別にどこに動いたかはそんなに大事じゃない。

しかもめちゃくちゃったってねえ、そんなに頭おかしいみたいなことをやる必要なんて別になくて。
全然、手の届く範囲にあることをあれこれ試してみるだけで、ずいぶん感覚は外に開いていくもんだったりする。
極端なことをやらなきゃいけないなんてのは、それこそ一人で考えすぎた結果で、自分で思っている以上に自分は些細なことにも敏感なものだよね。

素敵なやり方で否定してくれる人もたくさんいるし。
否定と言わずとも、内省を促すような言葉をくれる人もいる。
それは思った以上に素敵でびっくりする。
予防接種の注射みたいなもので、たしかにチクリと心に刺さるのに「あれ、そんなに痛くない」。
むしろ「これが効いてくるんだろうな」という確かな実感とともにやわらかな痛みが広がっていく感じは心地よかったりする。
本当に暴力的なまでに否定的な言葉っていうのは、状況にもよるけど、少なくとも元気であれば受け止めないでおこうと判断できる。
「クソみたいなこと言いやがって」という反感を持つなり、全然違う世界の物事としてしかうまく捉えられないなり。

身近なものとの戯れの中で自分の感覚は確かに磨かれていくものだ。
それで行けるところまでガンガン行こうではないか。
ガンガンガンガンガンガンガン、と。