残業、文学、「キモくて金のないおっさん」

文筆家なんてのは虚業である、ということを誰かが言っていた。

 

仕事がきつい。

ちゃんと一人前になれば普通にできることだから仕事がきついのうちに入らないのかもしれない。

知らないことが多すぎる。ミスもいっぱいしている。

先輩にイライラされると泣きそうになる。

 

知らないことは知らないんだから仕方ないじゃんマニュアル化してくれてるわけでもないんだしさあ。でも自分でちゃんと勉強してない俺もいけないんだろうな。でも前できなかったことは今回ちょっとできるようになってるはずだよね。あれ、どうなんだろ。わかんない。いずれにせよできなかったことはできなかった、それだけが確かだ。そして先輩イライラしてる。ああもうやだ。次は一生懸命やります。でも一生懸命やったところでまた知らなかったことでミスったりするかもしれない。かといってわかんないとこほっといたら「どうしてほっといたの?」だし「わかんないから教えてください」なんてそんなしょっちゅう聞いたらまた嫌な顔されるし自分で調べたって不安だし調べた結果「それは違う」って言われたらパアだしどのみち不安なままで事は進んでいく。

 

体系化して叩き込んでくれよ。

たまには人のせいにしたい。

 

たまには人のせいにしたい。

 

上司の顔色伺ってるのか知らないけど上の人が帰るまでずっと仕事してる先輩たちの態度がわからない。やることやったら帰ればいいじゃんそういうもんでもないの? 「やることなんて尽きないんだから」ってこと? わかんないけど顔色伺ってるんだとしたらそんなのやだよ。俺そんなのやだからね。仕事できれば文句言われないってもんじゃないんだとしたらいったい何なんだ。もう一人で十分仕事回せる先輩ですらそんなふうなんだとしたらいったいコミュニケーションってなんなんだよ。結局秩序に組み込まれて抜けられなくなって終わるの? やだよそれは。強い人は強い人のまま、なんて話はいやだ。尊敬できる人と尊敬される人、みたいな関係に移っていくんだったらいいけど。抑圧する側とされる側で終わってくの? 自分が上になるまで我慢するの? そういうリレーなんだったら俺やだからね。

 

みんなそんなふうに生きてるの?

 

みんなそんなふうにして生きてるのに夢をかなえて一抜けしたいなんて思ってる逃げ腰はだめなんじゃないか。そんなやつにものを書く資格なんてないんじゃないか。自分で現実を変える力もないくせに何かをよくしたいんだみたいなことをべらべら言おうなんて虫が良すぎるんじゃないか。俺は虫のいいことを考えているんじゃないか。卑怯なんじゃないか。人生は戦いなんだとしたら別ルートでやりたい放題やろうなんてことでいいんだろうか。生きることは戦いだとしたら。むしろ生きることが戦いだなんていう発想を超える可能性が人間にあるんだってぎりぎりのところで主張するくらいでないといけないかもしれない。いずれにせよ負け犬の遠吠えなんて誰が聞きたいんだ。傷の舐め合いなんて。

 

芸術は最後にはいらなくなるのかもしれないという話を友達とした。芸術なんてまっとうな人生を送れない人間の逃げ場でしかないんだと。劣等な人種の傷の舐め合いの場でしかないんだと。だとしたらそういう人間が排除された社会からは芸術なんてなくなってしかるべきなのかもしれないと。弱者はどうなるの。弱者ねえ。知らないよそんなの、って俺が思ってんのかもね。めんどくさい、かかわりあいたくない、願い下げだって。だって実際めんどくさいし。こっちが石投げなくても向こうが石を投げてくる、なんてこといっぱいあるよ。誰がそんな人たちのこと肯定するの。それと同じで誰が俺自身のことを肯定するの。みんな自分のことが大事で自分のことがだめだと思ってる。みんな人の話は聞かない。聞いたら損だって思ってる。聞いたら負けだって思ってる。バカな話だ。誰の話を聞いたらいいんだろう。誰が聞くに値する話をできるんだろう。誰にたいして聞く姿勢をとればいいんだろう。

 

あと何十年かしたら死にます。

 

もはや言葉の時代じゃないのかもしれない。行動の時代なのかもしれない。言葉で何かが変わったことがあっただろうか。そんなふうに考えるのは政治家とかの発想でしょうか。でも響かない内輪の言葉でおさまっていて意味あるんだろうか。戦わないのは卑怯じゃないのか。戦えないから逃げて、なまぬるく、なんていうのは、人間の社会のひずみみたいなところにひっついて、甘い汁を吸って生きる、みたいな卑怯な発想じゃないのか。戦闘的姿勢。それは誰かを告発することじゃない。正しいことを言うことだ。正しいことを目指すことだ。正しいことに傷つくことだ。クソにはクソと言うことだ。でもずるい。ずるばっかり。救われない悲しみ。お前はクソだ。この社会はクソだ。以上です。そして今日も何も変わらず。

 

非常に慎重である必要があるのであります。