「できる」ということはしばしば「なんでできるのかわからない」という事態と結びついている気がする。
だから信用ならない、と言ってしまうとそれは詭弁かもしれないけど、でも「できる」という状態はときどき心もとないように思ってしまう。
いま自転車に乗れている、この状態を保証しているのはいったいなんなのだろう?

これまで夏休みがある生活をしていたせいか、今なぜか「夏休みの中にいる」ような気分でいる。不思議だ。仕事してるのにそう思うのはどうしてだろう。
仕事はむしろ「夏休みの宿題」に近い感覚というか。
休みありきで、やらなきゃいけないことをやっている感じというか。
まあ単純に夏が来て心が浮き立っているのだろう、たぶん。