母音の使い分け
備忘録的に。
またヒトカラ行って録音してきた。
いわゆる「他者目線」があると、そうね、たしかに漫然とやることはなくなるのかな。
録音聞いて、あるいは聞いてもらって、分析的な視点を手に入れたうえで次に生かすっていう手続きが取れる。
文章もそういうふうに書いてみようかな。
……いやそういう話じゃねえんだよ、今は。
そう、歌の話だった。
「しゃくり」とか「強弱」をつけると歌は多少うまく聞こえるもんだ、と弟に教わって、実行してみたらたしかに多少ましに聞こえた。
少なくとも棒読み感はなくなった、最初に聞いてもらったときは「シーケンサーっぽい」とまで酷評されたのだから、まあ進歩したと言っていいだろう。
アカペラやってたとは思えないくらい、本当に歌に対しては分析的な視点がこれまでなかった。
なんだろうな、まあ色々あったんだよな。冷静に物事を見る余裕を失わせる程度には、色々とさ。
……すぐ話逸れるな。そう、歌の話だ。
たしかに棒読み感は多少消せたんだけど、なんというか録音を聞いて思ったのが「うるせえな」だった。
全体的に、ボクシングで言ったら「ストレート、ストレート、ストレート!」な感じなのだった。
前と比べてボディや顔面といった打ち分けはできるようになったけど、いずれにせよストレートの乱打といった塩梅。
端的に言ってジャブがない。
歌におけるジャブってなんだろう、と思ったとき、まあ「強弱」という言葉がさっと浮かぶんだけど、そしたらその強弱って何でつけられるんだ?と思うわけだ。
息の量とか声量とか、まあそういうこともあるかもしれない。
ただ、大事なもう一つの要素として「母音」というのがあるんじゃないか、と今日は思った。
母音と言ったとき日本語では「あいうえお」の五つを想定するわけだが、当然のことながら、母音と言うのは無数に存在しうる。
言語によっても違うわけだ、たとえば日本語なら「あ」一つですませる音が英語ではいくつかに分節可能であるというように。
そうすると考えられるのは、歌うとき大事なのは、いくつかの「あ」、いくつかの「い」、あるいは「う」「え」「お」を自分の中にひきだしとして持っておく、ということなのではないか、ということだ。
考えてみればアカペラやってたときも「woo」と「uh」の使い分けをせよ、とかってことは何度も言われてきた(できなかったけど……)。
そういう使い分けを、歌い回しの中で行っていくことで、歌詞の強調すべき部分・悪目立ちをさせるべきでない部分それぞれのメリハリをつけられる。
だから、「ここは弱く」「ここは強く」という言い方を、一歩踏み込んで「ここは口を閉じ目の「あ」で」とか、「ここは口角上げ目の「あ」で」、という言い方に変えると、だいぶ歌うときのイメージはつきやすくなるのではないか。
弱い、強い、という言い方だけだと、どうしても声を小さくする、大きくする、という漠然としたイメージになる。
そうすると、専門的なボイトレをやっているわけでもない人は、力の入れ具合などでその部分を無理やり解決しようとして、結果的に失敗することになるんじゃないか。
「弱い」「強い」の実現の仕方にも、いくつかのひきだしがあること、そしてそれを使い分けるべきだということを、心得ている人であれば、そういう漠然とした言い方でもなんとかなってしまうのかもしれないが。
余談だが、やっぱりプロの歌手の歌を聞いていると、やっぱり母音のメリハリはきちんとついている(もちろん母音以外の要素も強弱をつけるうえで使われているから、たぶん理想は、複合的にいろいろな技を組み合わせられることなのだろう)。
単純に、メロは口を閉じ気味、サビは大口開けて、という対比から入ればわかりやすいと思う。
細かく言えば、歌詞のひとつひとつで使い分けをしている。
ひとつのアプローチとして頭に入れておくといいのだろう。
次に練習するときには気をつけておきたいところだ。