新年の目標を今さら思いついた

今年の目標を今朝決めた。

「やりすぎない」

これだ。

 

電子ドラムを買って早2週間、昨日ばしばし練習していたら早速壁ドンを食らった。ヘッドホン越しだったので正確なところはわからないが多分壁ドンだったと思う。正直ビビった。あんなものに誰がビビるか、どかつてはなめていたが、無言の圧力と言うのはなめたものではない。

 

直接的なきっかけはそれなのだが、思うところあってちょっと前から「やりすぎない」という心がけを持つべきだな、というのはかねがね思っていた。

要するに節度というか自分の中での区切りみたいなものを何事においても持とうということなのだが、思った以上にこれを持つには勇気が要った。

 

たとえば、放っておいたら一日4時間くらい練習していられる何かがあるとして、それを無理やり抑えて一日1時間にしてしまうと、結構フラストレーションがたまる。まだできるのに、とか、やりたいこと試したいことがある、とか、もう少しやればできそうな気がする、とかそういうことだ。

そこをあえて区切る。

 

どっちもどっちであるとは思うのだ。波に乗っているときはなるべく自分を邪魔しないでおいてあげたい、というのも本音ではあるけれど、やっぱりいろんなことに手を出そうと思ったら、毎日どれも少しずつきちんと継続を、というのが現実的な選択に思えるのだ。区切られた時間の中での効率性を高めていく工夫だって、いくらだってできるわけだし。長い目で見たときにどちらがいいかと言うのは、一概に言えないとは思う。

 

フロー状態だったっけ、たしか集中してハイになって力ががんがんに湧く状態のことをそういうふうに呼ぶ人があったと思う。そこに入りこんだら、もうやれるところまでやってしまったほうがいいのかもしれない。あるいは、人間の能力の拡張の要諦は限界を超えることにこそある、とすればぎりぎりまで自分を追い込む、体力も気力も尽きるまで、ということも必要である、という考え方も大いにあるような気がするのだ。が。。。

 

そこのところは慎重な判断が必要な気もするのだ。要するに、ただ惰性でだらだら区切りなくやっているのと、もう入り込みすぎて時間も忘れている、というのは、全然違うだろうし、惰性になるくらいだったらばちっと区切ってしまったほうがいい、とは思うのだが。自分がどっちの状態にあるか、というのは、なかなか判断しがたい気もするのだ。判断する自分自身が、当の自分を甘やかそうとする可能性もあるわけだから。

 

というわけで、まあ本当にどっちつかずというか、方法に確信があるわけでもないのだけれど、とりあえずしばらくは「やりすぎない」を旨に何事もやっていこうと思います。密度を高めるのだ、密度を。