無い内定の男、就活を語る!

表題のような内容の文章を近々書こうと思っています。
15年卒が動き出すこの時期、需要はあるかわからないものの、一部の人には多少共感をいただけるものが書けるのではないかと考えている次第です。


私は就活においてことごとく失敗しました。
最終面接まで受けさせてもらった会社も二つあったものの、内定には至らずに今を迎えています。
このまま大学を卒業し、つつましやかな生活を送りながら夢を追うことになるのかな、というのが今の見通しです。


痛い思いをしましたが、私は就活という仕組みをそれほど悪いものとは思っていません(いいとも思いませんが)。
少なくとも、色々なことを見つめ、生きるということに思いをはせるいい機会だったとは思っています。
親に言ったら殺されるかもしれませんけどね、何を終わった気になっているんだと(笑)


ところで、私は誰に向けて書いていきたいか?
像はなんとなくあります。
私のような、最後まで働いて生きるということを受け入れられなかった人たちに向けて、です。
(誤解を招くといけませんが、私は決して働くのがイヤでイヤでたまらないわけではありません。しかし、どこに行っても話を聞くような「社会人とはこういうものだ」的なスタイルでこの先の人生を生きていく、ということに違和を持ち続けてしまったのです)


うまくいく人は、就活なんていくらでもうまくいくものだ、と私は確信しています。
そういう人たちの「就活が不安だ」は、そうでない人の「就活が不安だ」と意味の質が違います。
だから私は、万人に向けて書くような形で就活について語ろうとは思わない。
本当に語りかけたい相手に向けて、私の感じた等身大の就活観を語ってみたいのです。


もしかすると、自分を正当化するために、私はそんなものを書きたいのかもしれません。
だけど、それでも別にいいかなと思っています。
だって、自分を正当化せずに生きるには、人生はあまりに不安で苦しいでしょうから。


前置きにしては長くなりましたが、そういうことを考えている最中です。
私の愚考の垂れ流しが、少しでも誰かの気休めになればと思っています。